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「アシタカは好きだ。でも人間は許せない」に隠されたサンの変化

「アシタカは好きだ。でも人間は許せない」に隠されたサンの変化

今日、8月13日は、金曜ロードショーで「もののけ姫」が放送されます。1997年に初公開されてから今まで、根強い人気を誇るジブリ作品です。

 

子どもの頃に観た時は「怖い」という印象が強かったもののけ姫ですが、大学生になってから改めて観てみると、サンの変化に目が奪われてしまいました。作中で最も変化した人物と言っても過言はないと思うのです。

 

そこで!今回はアシタカとサンという対照的な2人に的を絞って、彼らについて掘り下げてみたいと思います。

 

なお、本記事は「もののけ姫」のストーリーに関するネタバレを含みますので、ご注意ください。

 

 

どんなことでも「自分で」判断するアシタカ

本作の主人公と言えるアシタカは、作中を通じて「自分基準で判断する」という様子が目立ちます。つまり、「主体的」に判断しているということです。

 

タタラ場の指導者であるエボシ御前から「そのつぶての秘密を調べてなんとする」と問われた際に、アシタカは「曇りなき眼で見定め、決める」と答えています。

 

ここでのアシタカには、「誰かがこう言ったから」というような、他人の意見を鵜呑みにする態度はありません。あくまで「自分で見て、それをもとに自分で判断する」と言っているのです。

 

アシタカがこういい切れるのは、それだけ自分の判断能力に自信があるということです。たとえ自分以上に知識が多かったり、経験豊富だったりする人がいたとしても、最後には自分で判断できる、そんな自信が顕になっています。

 

この「自分の目で確かめる」という姿勢は、別の場面からもわかります。

 

村の女性達が鉄づくりに携わっていることを聞いたアシタカは、タタラ場に自ら赴きます。そして、自ら鉄を踏んで見せるとともに、「ここの暮らしは辛いか」と、女性たちの生の声を聞いて回るのです。

 

ここでも、アシタカは自ら現場の仕事を経験して、女性たちの思いを自分なりに理解しようとしているのです。

(引用:https://www.ghibli.jp/works/mononoke/)

 

さらには、モロ(山犬)から「お前にあの娘の不幸が癒せるのか、お前にサンを救えるか」と問われたときにも、「わからない。だが共に生きることはできる」と宣言しました。

 

モロは「サンは人間と共存できない。森が死ぬときにはサンも運命をともにすべき」と考えていました。しかしアシタカは、そのような考えに屈することなく、「森が死んでもサンが生きる道を模索することはできる。それが自分にはできる」と言い放ったのです。

(引用:https://www.ghibli.jp/works/mononoke/)

 

このように、自分で判断している、主体性の強いアシタカには、余計な迷いがありません。だからこそ、「人と森の共存」という難しいテーマに立ち向かいつつ、「生きる」ことができたのです。

 

 

判断基準が「他者」にあったサン

一方、この物語のもうひとりの主人公と言えるサンは、物語序盤では「自分で決める」ことができませんでした。

 

サンは、瀕死状態のアシタカを助けます。しかしこの時に、サンは「シシ神様がお前を生かした、だから助ける」と発言します。

(引用:https://www.ghibli.jp/works/mononoke/)

 

もちろん、この言葉には、アシタカを助けてしまったことへの照れ隠し的な要素や、本心をあえて明かさない意図があると考えることもできるでしょう。しかし、文字通りにこの言葉を受け取るなら、サンの判断基準はあくまでシシ神にあるということになります。

 

また、サンは作中で一貫して人間を嫌う旨の発言をしています。モロから「お前にはあの若者と生きる道もあるのだが」と言われたときにも、「人間は嫌い」といって、乙事主の軍に加わることを決めます。

 

確かに、「死などこわいもんか!人間を追い払うためなら生命などいらぬ!」という発言からは、一見強い意志、自分なりの決意のようなものを感じます。

 

しかし、サンの生い立ちからすれば、人間嫌悪はある意味で必然的なものです。かつて森を侵した人間が、モロの牙を逃れるために差し出した娘がサンである、ということが語られました。つまり、獣でもなければ人間でもないという狭間の存在がサンなのです。

 

このような生い立ちがあったうえに、人間を憎む獣によって育てられたとすれば、人間に対して負の感情を抱いてしまっても仕方がないですよね。むしろ、そうならざるを得ないと言えるでしょう。

 

こうして考えると、サンは「自分で」というよりは、他人を基準として判断していた、主体性が弱い、ということが言えるでしょう。

 

主体性が弱いサンは、生き抜くことを放棄しかけていまいました。誰の目にも無謀な夜襲をしかけて、アシタカから間一髪救ってもらっても、「生命などいらぬ」と言ってしまうのです。

 

 

アシタカとサンの出会い

物語の最後に、サンは「アシタカは好きだ。でも、人間を許すことはできない」といいます。サンは、アシタカとの出会いを通して、自分なりに様々な経験をし、そこから自分で判断するに至ったと言えるでしょう。

 

「人間と自然の共存」という、アシタカからの一種の挑戦を受け入れたサンは、ここで主体性を手に入れたのではないでしょうか。

シシ神のいなくなった森で、人とは別の世界で生きていくことを、主体的に選択したのです。

(引用:https://www.ghibli.jp/works/mononoke/)

 

最後には「あの人がそうしたから」「自分なりの経験ではなく、環境的に」決断するのではなく、「自分のした体験をもとに、自分で」判断したサン。物語序盤と比べてみると、「主体性」という観点において大きく変化していることが伺えます。

 

いかがでしたか?このように、ある視点に立って物語を見てみると、新しい発見ができることがあります。他の作品についても、「主体性」という観点から見て行こうと思っていますので、今後もお楽しみください!

 

参考

【もののけ姫】「生きろ、そなたは美しい」の意味を考えてみた。 – そういう考え方もあるよね

『もののけ姫』でアシタカがなぜ「たたら場に残った」のかようやく理解した

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河内誠人

カルペディエムLIFE編集長。法学部で勉強中。数年ぶりに紙のカードゲーム(デュエルマスターズ)復帰しました。