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主体性×方向性〜独りよがりの独断人間にならないように〜

主体性×方向性〜独りよがりの独断人間にならないように〜

方向性をもった主体性

こんにちは。山田です。

今回は主体性という概念に対して方向性(=始点と終点がどこにあるのかという)の面から考えると、主体性とはどのようなものか、理解が深まるのではないのかという仮定で記事を書いてみたいとおもいます。これを読んだ読者の方が、さらに自らのなかで自問自答するときの参考になればと思います。

 

 

方向性を考え出した訳

そもそも、なぜ方向性というキーワードが頭に浮かんだのか、について前段としてお話ししたいと思います。

 

自分が一つの記事を書いた後、他の非常に優秀な東大生が書いた記事を読んでいると、自分のやりたいことをやりたいようにやる、ということが一つの主体性なのではないのか、という意見がありました。この意見に対して、私が少し違和感を持った、ということが方向性を考えるきっかけとなりました。

私の中で主体的であるという言葉はあくまでも他人から見た自分の評価の言葉の一つであるという考えが根本にあるからです。

 

つまり、自分のやりたいことをやるというのは自分が始点となる主体性(これを内から内への方向性を持った主体性と呼ぶことにします)になります。一方で、私が思う主体性とは他人が始点となる主体性(これを外から内への方向性を持った主体性と呼ぶことにします)になります。

 

この2つの主体性は、同一のものとして捉えることのできるものなのでしょうか?それとも、別のものとして捉えた方がいいのでしょうか?順番に考えていきましょう。

 

 

内から内への主体性

内から内への主体性を発揮するときとはどのような場面が考えられるでしょうか?

私は中学生から大学生にかけての学生としての期間においては非常に内から内への主体性を発揮できる時期なのではないのかと思います。

 

例えば、学園祭。クラス単位や部活単位などさまざまなパターンがありますが、自分がやりたい企画と他のクラスメイトがやりたい企画が異なったり、細かい部分で喧嘩になったり・・・。それでも、その自分のやりたいことを突き通そうとする姿勢を個人個人それぞれが発揮することで最終的には楽しかった「思い出」として記憶に残るし、議論というものの大事さというものを学んでいたのではないでしょうか。

 

もう一つ発揮する場面は、やはり将来の進路でしょう。自分とは何者なのか?アイデンティティーの発見のためにはやはり、自分の興味関心があることに対して積極的にアクションを起こしてみるということが自分を深く知るための第一歩となるはずです。

大学でどんな勉強をしたいのか、それは理系なのか、文系なのか、自分で自分のことを考えてあげる、これが必要な時期に、自分のやりたいことをやるという主体性は力を持ってくるのではないでしょうか。

 

外から内への主体性

次に、外から内への主体性を発揮するといったときは、どのような場面が想像されるでしょうか?

一言で言い表すことは非常に難しいのですが、利害関係の付き合いのとき、なのではないのかと思います。少し違った言い方をすれば、自分の行いに責任を問われるとき、ということもできると思います。

 

非常に卑近な例で考えると、金銭のやりとりが発生するような関係性の場合が考えられると思います。大学生であればアルバイトなどがいい例です。

アルバイトでは、雇われた側は雇った側の期待値というのを想定した上で、その期待値に合わせた仕事をしなければなりません。その対価としてお金をもらっています。あくまでもこの場合の始点は雇った側の期待値、です。大学生からすれば完全なる外部が始点となって、求められるという形で、自分の主体性を発揮していかなくてはいけません。これこそまさに外から内への主体性なのではないでしょうか。

 

もう一つ違う例を考えてみます。企業と企業の間での取り引きの場合です。

簡単のために2社のみの取り引きを考えてみます。このとき、A社にとってはB社からの期待値に合わせた主体性を、B社にとってはA社からの期待値に合わせた主体性を発揮しなくては取り引きは成立しません。どちらか一方の会社にとってしか利益を生まないような内容の取り引きであれば成立するはずはないですよね。A社もB社もそれぞれが目指している自分の会社にとっての利益を得るために取り引きは存在しているはずです。

 

 

練習台として

このように考えてみると、内から内への主体性というのは外から内への主体性を身につけるための練習台としての役割があるのだと考えられます。外から内への主体性を求められたときに他人に迷惑をかけないようにするためです。

 

内から内への主体性を身につけようとしている間は他人に迷惑をかけることはありません。学生の間にやりたいことを思う存分にやって失敗しても、ある程度公序良俗に反していない限りは許されることでしょう。

ただし、許されているのは、次もまたなんでもしていいわけではなく、失敗をもとにして主体性の発揮の仕方を学ぶように社会から要請されている状況だと捉えるべきでしょう。大人になって責任を持って主体性を発揮する場面、すなわち外から内への主体性を持って行動するようなときに、しっかりと動くことができるように今のうちから訓練をしておきなさい、と。そんなメッセージなのではないでしょうか。

 

 

これは昨今、学校現場で盛んに行われているアクティブラーニングにも通じる点があると思います。自分が能動的に動いて興味を持って授業に取り組む、これこそまさに内から内への主体性を練習する環境になっていますよね。また、アイデンティティ教育に関しても同様です。自分が何をしたいのか、どのような大人になりたいのか、これもまた内から内への主体性の練習の1つの場と言えるでしょう。

 

結局、外から内への主体性を求められたときに「どうしたらいいのかわからない!」とならないように、自分を実験台にして練習をしなければいけないのです。外から内への主体性が発揮されないと、自分のみならず周囲の人に大きな迷惑をかけ、社会的にも大きな損失を生み出します。主体性の発揮の仕方を知らずに大人になると、自分では何も判断できない完全なる受動人間になるかもしれません。または、全く反対で自分のやりたいことだけをやりたいようにやるのが正義だと勘違いして暴走する独りよがりの人間になる可能性もあります。混沌とした不明瞭な状況の時、人間は極端を好むことは歴史が十分に証明しています。

 

では社会的な損失を防ぐためにどうすればいいのか?それは一人一人がまずは内から内への主体性を発揮できるようにするために、何をするべきなのかを考えることなのではないでしょうか?

 

 

山田亮進のプロフィール画像

山田亮進

リアルドラゴン桜プロジェクト講師。主体的に勉強する楽しさを伝えるため日々奮闘中。オンライン授業の毎日で、生活は完全なニート状態。