Carpediem Life
東大生作家が断言!主体性とは責任感だ!

東大生作家が断言!主体性とは責任感だ!

みなさんこんにちは、西岡壱誠と申します。東京大学の4年生をやっています。

 

みなさんにとって、「主体性」とはなんでしょうか?

 

主体性という言葉には、いろんな解釈があると思います。自分で自分の道を切り開くとか、何かやってみようという意欲だったりとか、いろんな言葉で説明できるような気がしますよね。

ただ、僕が考えている「主体性」というのは、人の解釈とはちょっと違うものです。

 

主体性というのは、「責任感」なんじゃないかと僕は考えているんです。

 

責任感こそが、主体性の源泉だ

責任感……わかりやすく言うと、なんらかの物事が失敗した時に、「自分が悪い」とどれくらい思えるか、というのが「責任感」だと言えます。責任感のない人は物事が失敗しても「自分のせいじゃない」「誰かが悪かった」と考えるでしょう。逆に、責任感のある人は、「自分のこういうところが悪かった」「自分が悪かった、自分のせいだ」と考えるでしょう。

で。僕が言いたいのは、「何事においても責任感が持てる人間こそが、主体性がある人間だと言える」ということなのです。

 

何らかのプロジェクトに参画したとして、そのプロジェクトがうまくいかなかったとします。まあ大抵、人が多く集まって何かを行うプロジェクトってうまくいかないことの方が多いですからね笑。「〇〇くんの仕事振りが悪くて」とか「△△さんが風邪をひいてしまって」とか、そういういろんな理由で、うまくいかないことがほとんどでしょう。

 

そんな時に、「〇〇さんがこうなんだから、しょうがない」とか「△△さんがああ言ってるんだから、俺のせいじゃない」と言ってしまうこともできますよね。人のせいにして、自分で責任を取らずに、誰からも責められることなく、プロジェクトをやめることができます。

 

しかし、自分で責任を取ろうとする人ならば、「これは自分の責任だったな」「自分が悪い面があった」と考えるのではないでしょうか。そしてその思いをバネになんとか成功できるように頑張れるからこそ、主体的な行動も生まれるというわけです。

 

わかりますでしょうか。何らかの物事において、流されるままで他人のせいにしていると、主体的にはなれません。逆に責任感があって、自分の責任で物事を捉えていると、主体的になれると思うんです。

 

考えてみれば、自分の人生を、自分の責任で生きている人って、実は少ないんじゃないかなと思います。かくいう僕もそのうちの1人でした。責任感があるかないかで、その人の人生って結構変わるんじゃないかって考えています。つまりは、自分の人生に責任を持てる主体的な人だからこそ、得られるものがあると思うんです。

 

例えば、僕は昔は、自分の成績が悪いのは他人のせいだと思っていました。

 

……なんて言うと、ひどい奴だな、と思うのですが、まあ事実なのでしょうがないですね。その当時僕はいじめられていたりして、親とも仲が悪かったりなんかして、先生ともソリが合わなかったりして、勉強なんてやりたくない、という気になっていました。

 

事実として僕が悪かったわけではない部分もあったのかもしれませんが、それでもうまくいかないことの全てを他人のせいにしていたのは良くないことですよね。だって、自分の責任で自分の人生を生きていない状態なんですから。

 

何か失敗しても「他人のせいだ」といい、何かうまくいかなくても「自分のせいじゃない」と言う。そういう時は、自分の人生に主体的になっているとは言えないと思うのです。

 

何か失敗しても、次に繋げようとするような行動が取れず、うまく物事が進まないのです。だって自分には、責任がないと思っているのですから。そういう状態だと、新しい何かをやろうという意思はほとんどありません。

 

「どうせやっても、無駄だろう」という意識が生まれてしまい、もっと何もできなくなる。こういう無限ループの中で生きていたのが小学校・中学校の時代だなあと思います。

 

ひどい言い方ですが、僕は自分がいじめられていたのも、自分のせいだった部分もあるよなあと今は思います。誰かのせいにしてばかりで、全然人間的に成長していなかったなぁ、と。だからいじめられていたんだと思うんですよね。

 

「誰が成績を上げたと思っているんだ」

そんな僕が、どうして自分の人生に責任を持つようになったのか?これは、大きな事件があったわけではありません。先生の一言が、僕に「責任」という言葉について考えさせるきっかけになったのです。

 

あれは高校2年生の時のこと。僕は勉強して成績を上げようと頑張っていました。数学の勉強を頑張って、何とか頑張ろうと思っていたのです。それで数学の先生に色々聞いて、「ああしたらいいよ」「こういうことやってみよう」と色々話をしてもらえました。

 

で、その結果それで少しは成績が上がったのですが、数学の先生と少し仲が悪くなってしまったんですよね。

 

なにかというと、僕も少し自分で工夫しながら勉強をするようになって、「こういう方法を試してみたいな」みたいなものが出てくるようになったのです。しかしそれが、先生の言うものと少し違うものだったりして、言い争うことが出てきたわけです。

 

その時に、僕は先生にこう言われました。

「誰が成績を上げてやったと思ってるんだ」

と。

 

うん、まあ、これ間違ってないんですよね。先生の言う通りに、先生が教えてくれて、成績が上がったんだから、先生の言うことには筋が通っているんです。

 

でも、納得できなかったんです。先生の言うことは正しいけど、なんか納得できなくて、すごくモヤモヤしたんです。

 

「僕が頑張っても、僕が努力しても、結局これは僕の努力じゃなくて、他人の努力ということになってしまうんだろうか」

 

「これから先、僕が頑張っても、僕は僕の人生を送れないんじゃないか」

 

なんて、考えたからです。

 

その時に気づいたんです。「今まで実際に、他人の責任にして、自分の人生を自分の責任で送ってなかったな」と

 

もしあの時成績が上がっていなかったら、多分僕は先生のせいにしたんです。自分の責任にしなかったのです。そういう奴が、先生に「成績を上げたのは自分だ」と言われた時に、否定することができなかったわけですね。

 

そこから僕は、「自分の責任」で生きようと努力するようになりました。東大に2回不合格になったわけですが、不合格になった理由も自分の責任だと考えました。誰かのせいじゃない、自分が悪かったからだ、と。そう思うのは辛かったですし、恐ろしかったですが、でもそうでなければならないと考えたのです。

 

だってこれは、僕の人生なんだから。

 

そうやって2浪して、僕は僕の責任で、東大に合格することができました。その時の喜びは、きっと自分の人生に責任を持っていなかった時には得られなかった喜びだったと思います。

ここまでのお話しで僕がみなさんにお話ししたいのは、主体的になろうと思ったら、責任感を持とう!ということです。

 

自分の人生に、自分で責任を持つ。失敗しても苦労しても、それは自分のせい。そう考えて、次の行動につなげていこうということです。

 

そりゃ人生いろいろあります。人とそりがあわなかったり、努力が報われなかったり、いろんなことがあります。そしてそういう時に、自分の責任じゃないと考えると、すごく楽になります。

 

でも、それとトレードオフで、捨ててしまっているものもあるんだと思います。自分の責任が減れば減るほど、主体的じゃなくなるんだと思うんです。

 

「責任を持つ」ということは、「逃げない」ということでもあります。何かあった時に、逃げないで、自分で責任を持つ姿勢をつらぬく。大変だけど、そういうことにも意味があるんじゃないかと思います。

 

 

西岡壱誠のプロフィール画像

西岡壱誠

偏差値35、2浪という崖っぷちの状況で開発した独自メソッドで東大合格を果たす。著書多数。好きな寿司ネタはサーモン。