
公開 : 2021.08.27 | 更新 : 2021.11.22
『風立ちぬ』のラストシーン「あなた、生きて」の意味とは?
2013年に公開された『風立ちぬ』。大人向けのジブリ映画ということで、公開当初から様々な評価がなされていました。
様々な名言がある中で、ラストシーンにて堀越二郎の妻・菜穂子の言った「あなた、生きて」はとても印象的な言葉だったと思います。
しかし、この言葉、一体どんな意味が込められているのでしょう?
作品中ではたびたび「生きる」ということについて語られますが、ここで菜穂子が二郎にかけた「生きて」は、特別な意味を持っていると考えました。
そこで、主体性について考える東大生ライターとして、「あなた、生きて」の意味を考察してみました。
当記事はネタバレを含みますので、まだ鑑賞されていない方はご注意ください!
①夢を追って、創造的人生を生きて
1つは、二郎にまた創造的な人生を歩んでほしい、という願いだと考えています。
飛行機の夢を追いかける二郎
主人公の堀越二郎は、小さい頃からとにかく「飛行機を作る」という夢を一途に追いかけています。
大学生時代には、関東大震災後の火災で東京が火事となり、大学も大騒ぎになっている中ですら、飛行機のことを考えていました。
飛行機の設計士として就職してからは、昼休みをなげうってでも作業場に出向いて飛行機を観察したり、同僚たちと夜通し勉強会を行ったりしています。
寝ても覚めても飛行機のことを考えていた堀越二郎は、あるとき、夢の中でしばしば出会うイタリアの設計士、カプローニに「僕は美しい飛行機を作りたいと思っています」と答えました。

設計に多額の予算を要し、そのために多くの犠牲を伴うこと。空を飛びたいというきれいな夢のためにだけでなく、戦争という悲惨な事態の道具にも使われてしまうという「呪われた」運命を背負っていること。
二郎は、こうした飛行機の持つ負の側面を認識しながらも、なお「美しい飛行機を作りたい」と志願していたのです。
そして、カプローニの「君の10年を、力を尽くして生きなさい。」というメッセージ通り、力を尽くして飛行機づくりの夢に向かっていきました。
このように、自分の確固たる夢に向かって、全力で前のめりに進んでいく姿は、まさしく主体的だと言えます。
夢を追う二郎の姿に惹かれた菜穂子
菜穂子は、そんなふうに夢に向かっている二郎のことが好きで、夢を追うその姿を応援していました。「仕事をしている二郎さんを見るのが一番好き」というセリフのとおりです。

僕自身、夢を全力で追いかけている人の姿はとても魅力的に映るし、それを応援したいという気持ちになります。
本来なら、愛する人とはできるだけ一緒の時間を過ごしたいと思うものではないでしょうか。結核を患い、残された時間が僅かである事がわかっている菜穂子にとってはなおさらです。
それでも、菜穂子にとっては、夢を追いかけている、主体的な二郎が特に魅力的だったのです。だからこそ、二郎には夢を追いかけてほしいと願っていたし、二郎がそうであり続けられるようにしていました。
試験飛行に失敗して暗く沈んでいた二郎は、菜穂子との出会いによって元気と創作意欲を取り戻し、再び仕事に復帰します。二郎を「創造的人生」に引き戻したのは、他でもない菜穂子でした。
そして、劇の最後でもう一度、同じような場面が訪れます。
最後のシーンでは、まずカプローニに「君の10年はどうだったかね?力を尽くしたかね?」と問われます。
これに対して二郎は、「はい。終わりはズタズタでしたが」と答えました。創造的人生のひとつの集大成として、零戦の設計に文字通り力を尽くした二郎でしたが、戦争の結果は無残なものでした。
ここで意気消沈していた二郎に、「生きて」と声をかけた人こそ菜穂子だったのです。菜穂子はここで再び、二郎に創造的であり続けることを願ったのではないでしょうか。
②夢を失っても、めげずに生きて
もう1つは、夢や大切なものを失ったとしても生き続けてほしい、という切実な願いだと考えています。
先ほど書いたとおり、二郎は力を尽くして飛行機を設計しました。その結果として、自分の設計した零戦が1機も帰ってこない、つまり戦争に完敗したという「ズタズタ」な終わりを経験します。
カプローニの「創造的人生の持ち時間は10年だ」という言葉を借りるなら、二郎にとってはもう持ち時間が残されていませんでした。
その上、二郎は最愛の女性である菜穂子を失ってしまいます。二郎にとって、美しい飛行機と同じくらい大切だった菜穂子の死は、とても悲しく辛いものだったでしょう。
こんな状況では、何のために生きていけばいいかがわからなくなり、生きるのが苦しく辛いものになるでしょう。
僕自身、現役時代に東大受験で不合格になったことは、本当につらい経験でした。自分なりに努力してきた分、夢破れた、もう無理だ、という感覚は大きかったです。最後の科目、英語が終わった瞬間、そして合格発表を見た時に再確認したその無力感は今でも忘れられません。
戦争のために用いられることになった飛行機を作った二郎に比べれば些細なことでしょうが、それでも、夢のためにやってきて、それが打ち砕かれたという感覚はある程度想像できます。
二郎の場合も、本当なら逃げ出したいという気持ち、諦めの気持ちがあったはずです。
そんな中でも、菜穂子にとって二郎は生きてほしい存在でした。たとえ追いかけるべき夢がなくとも、大切な人に生きていてもらうことは菜穂子の切実な願いだったはずです。

「夢がなくたって大丈夫」と無責任にいうことはできない。でも、生きていればまた新しい夢や希望を得られるかもしれない。新しい挑戦の可能性があるかもしれない。そんな思いから、二郎に生きてほしいと願ったのではないでしょうか。
目の前の夢を失い苦しかったとしても、将来の可能性のために生きるという姿勢は、夢を追いかけている姿勢と同じように主体的だと思います。
他者である菜穂子から「生きて」と言われたことが直接の理由だとしても、苦しい中で、それでも生きようという決心をするなら、そこには主体的な決断があると考えています。
さらに言えば、二郎はまだ生きています。つまり、病気で亡くなった菜穂子や、過酷な戦火の中で亡くなったたくさんの人とは違うのです。二郎には、生き残った人間に与えられた使命として、残りの生涯を全うしてほしい。そんな思いも菜穂子にはあったかもしれませんね。
最後のシーンにまつわる制作秘話と難しさ
「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」というラジオにて、2013年10月に小説家の朝井リョウと鈴木敏夫が風立ちぬに関するトークを行っています。
この中では、菜穂子の「生きて」というセリフが、実は「来て」だったこと、二郎や菜穂子は生死の境目の世界にいて、「来て」とは二郎を死後の世界にいざなう言葉だったこと、などが明かされています。

そこでは、制作側の鈴木敏夫自身が「夢が潰えてしまった後をどう扱うか」について悩んでいることが語られていました。
夢破れ、希望を失った人にどう声をかけたらいいのか。当の本人はどう区切りをつけたらいいのか。これらはとても難しい問題です。
そんな中で、この『風立ちぬ』という作品では、最終的に「生きて」という言葉が選ばれました。
まだ夢が消えていないなら、夢を追い続けて創造的人生を歩んでほしい。もしそれが無理でも、諦めずに生をつないでほしい。
菜穂子のセリフ、そして「生きねば。」というキャッチフレーズの『風立ちぬ』という作品全体が伝えたいことは、このようなことではないかと考えています。
そして、そのような言葉を受けて生きるという決断をすること、「生きねば」と自分自身に語りかけることは、まさに主体的だと思います。

河内誠人
カルペディエムLIFE編集長。法学部で勉強中。数年ぶりに紙のカードゲーム(デュエルマスターズ)復帰しました。